看板クイズ回答ページ

似島遺構看板クイズの
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  3. 答え ③ 約 2,000体分

答え ③ 約 2,000体分

検疫所の所長以下の職員や兵士が、放置されたままの遺骨を広い集め、白木の柱に「千人塚」と墨書きして塚を立て死者を弔いました。その後も島民の証言を基に発掘・収集して多くの遺骨や遺品を収集し、供養塔に合祀されていました。

1945年(昭和20年)に建てられた最初の千人塚のイメージ図

1947年(昭和22年)に建てられた「広島市戦災死没者似島供養塔」の墓標

遺骨数 参    考
1947年(昭和22年) 1,500柱 遺体発掘作業、各所分骨遺骨を供養塔へ合祀
1955年(昭和30年) 似島の遺骨2,000柱を平和公園内の広島市戦災死没者供養塔へ合祀
1971年(昭和46年) 617体 似島中学校グランド517体、火葬跡7カ所から100体
1973年(昭和48年) 東警察署倉庫で「戦災死亡者イロハ名簿」を発見、似島で死亡した人を含む2,272名分の記載あり
1990年(平成2年) 市営住宅敷地内で遺灰発見※
※馬匹焼却炉から遺灰スコップ300杯分(バケツ3杯分)の骨片・骨灰を発見。別に1000体以上焼却したとの証言もある。
2004年(平成16年) 85体 遺品65点