答え ③ 3,700体
増え続ける遺体は弔うことができず馬匹検疫所の敷地内に大きな穴を掘り、遺体を火葬することなく、折り重ねるようにして埋葬しました。
やがて終戦を迎えましたが、馬匹検疫所が軍用地であったため、戦後長い間、遺体がどのように処理されたのか明らかにされることはありませんでした。 似島に運ばれた負傷者は被爆後20日間で10,000人に及んだと言われています。 |
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5,000人分の医薬品や衛生材料はわずか4日で底をつきました。遺体が増え、火葬場だけで処理しきれなくなり、防空壕に仮埋葬したり、馬匹検疫所で火葬したり、穴を掘り火葬することなくまとめて埋められました。
これまでに発掘された遺骨は推定3,700体ですが、掘ればまだ見つかると証言する島民もいます。 |
遺骨発掘の様子 |
発掘年度 | 発掘場所 | 発掘遺骨数 | 備 考 |
1955年(昭和30年) | 千人塚 | 2,000体 | 遺骨 |
1971年(昭和46年) | 馬匹検疫所跡地 (似島中農業実習地) |
517体 | 遺骨 |
100体分 | スコップ30杯分の遺灰 | ||
1990年(平成2年) | 馬匹検疫所跡地 (市営住宅用地) |
1,000体分 | スコップ300杯分の骨片・遺灰 |
2004年(平成16年) | 慰霊の広場 | 85体 | 遺骨 |
後の発掘で発見された遺留品