答え ③ 監視所
1919年(大正8年)、広島市内にあった火薬や弾薬の一部を元第一検疫所敷地内に移設しました。
1921年(大正10年)8月8日、皆実町の陸軍兵器支廠火薬庫が大爆発を起こし、大きな被害が出たため、似島へ本格的に弾薬庫を増設して移転しました。 現在も、土塁や火薬庫に入る通用門等を監視していた監視所(正式名 称:歩哨所)が残っています。 |
森の高台に設置されている監視所 |
島内に点在する遺構 |
歩哨所は、似島学園桟橋近くの山中にあります。
今は土塁(土を積み上げたもの)に樹木が茂り全景を見渡すことはできませんが、コンクリートでできたトンネルの中には弾薬を運んだトロッコのレール跡が、トンネルを抜けた場所では建物基礎などの遺構を見ることができます。 |