答え ③ 約 1,000体分
外地から帰還した軍馬の検査で、病死した軍馬を焼却した施設です。
原爆投下後、はおよそ10,000人の被爆者が似島に搬送され、多くの尊い命が失われ、亡くなられた遺体を火葬場で1体毎に火葬していましたが、死者が急増してきたために死体の山ができる有様となり、数十体をまとめて火葬しなければならない状況となりました。 |
馬匹検疫所全景
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旧陸軍運輸部馬匹(馬匹検疫所)焼却炉
この遺構は、平成2年(1990年)、ここから約600メートル南にある似島住宅用敷地内で発見された旧陸軍運輸部馬匹検疫所(軍馬の検疫・消毒を行う施設)の焼却炉の一部を移設したものです。昭和20年(1945年)8月6日、広島市は人類初の原子爆弾によって、一瞬のうちに壊滅し、多くの死傷者を出しました。この年の12月末までに約14万人が死亡したと言われています。ここ似島にも、約1万人の負傷した原爆被爆者が収容されましたが、応急看護のかいもなく、死亡者が続出し、その遺体がこの焼却炉においても火葬されたものです。ここに、原爆による被害の悲惨さを後世に伝えるとともに、恒久平和への誓いを新たにしてこの遺構を保存します。
平成3年(1991年)2月 広島市
移設された馬匹焼却炉前に設置された碑文